「書評」 漂流  吉村 昭

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初めて書評のブログを書きます。本のタイトルは、【漂流】 吉村 昭 著。

シャイでナイーブな私の今までの人生を振り返ると、1人でいることが全く苦にならず、むしろ1人でいることに安らぎと幸せを感じることが多かったといえます。

ところがこの本と出会い、深く考えさせられました。1人でいることに幸せを感じるといっても、誰ともつながらずに話し相手もいない状況がいつまで続くのか分からない。しかも絶海の孤島にただ1人。生きて帰れるかどうかも分からない。まさに死と隣り合わせの極限がリアルに描かれています。(江戸時代の実話を基に書かれた小説)

小説の主人公である長平は、漂流した仲間と絶海の孤島で必死に生き延びる中、仲間が次々と亡くなり、遂にたった1人になってしまいます。絶望に打ちひしがれながら、気が狂いそうになる中、1年半もの間を1人で過ごします。自分だったら耐えられるだろうか・・ いくら普段1人が苦にならないといっても次元が違う。



漂着してから3年、1人になってから1年半が経ったある日のこと。長平は人間と出会う。漂流者たちだった・・ この時の驚きと喜びようはいかばかりであったろうか。普通の人生では経験できないような驚きと喜びであり、言葉では表現できない気がします。そして彼らは力を合わせて生きていくのでした。

しかし、半年も経つと長平の悪口が聞こえてくるようになります。以下、引用(259~260㌻)

かれは、大坂船の水主たちが、陰で自分のことを長平と呼ばず鳥平という渾名(あだな)で呼んでいることに気づいていた。それは、初めに会った時、鳥の羽で作った蓑をつけていたからで、その後も蓑を羽織って雨中を出てゆくかれを蔑笑(べっしょう)してそのような渾名をつけたにちがいなかった。

しかし、長平は、別に腹も立てなかった。かれらも、いつかは自分と同じように蓑で寒気をしのぎ雨にうたれるのをふせぐようになる。すでにかれらの髪も髭もかなり伸び、衣服も汚れて破れ、島に上陸してきた時の面影はない。むしろ、洞穴の中から外へ出ぬかれらは、長平よりも顔色が悪く、肉づきも目立っておとろえてきていた。

いつの間にか、磯へ出るのは長平だけになっていた。洞穴に帰っても、大坂船の水主たちは言葉もかけてこない。わずかな貝や小魚などを手にもどってくるかれに、冷ややかな眼をむけているだけであった。

しかし、長平は、それを淋しいとは思わなかった。1人きりで島に住み、バッタやハサミ虫などを相手に生きていた時とくらべれば、冷たい扱いをうけても11人の人間が身近にいると考えるだけで幸いだと思うのだ。(引用おわり)

現実生活の中では、対人関係で疲れている人も多いことかと思います。ときには誰にも会いたくない、1人でいたいと思うこともあったりしますよね。もちろんそうした時間をつくることも必要でしょうが、ずっとふさぎ込んでいる訳にもいかないでしょう。

そろそろ立ち直らなければという時に、この本を読んでみてはいかがでしょうか。先ほどの引用部分だけ読んでみても良いかもしれないですね!(^<^)





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